国会議員の「定年制」は問題だと思う。各党により年齢制限はさまざまだが、経験豊かで有用、かつ元気な高齢者から公職のポストを追放するのは重大な差別であり、得るよりも失うものの方が大きい、と私は考える。
わが国の平均寿命は2008年度調査で女性86.05歳、男性79.29歳。70歳の人びとの平均余命(その後何年生きられるかという期待値)は女性19.29歳、男性14.84歳と過去最高であった。
例えば「70歳定年制」だと、人口の約16%、約2千万人が公職に就く権利を失う。しかもこの数と割合は高齢化社会に伴い年々増加していく。これほどの人たちが憲法で保障された被選挙権を略奪されていいのか。
人間の能力は、すべてが年齢とともの衰えるのではない。定年制導入の背景に、高齢者に対する年齢差別意識、老いを排除しようとする考えが一部の国会議員にあるのではないか。この年齢差別は、人種差別と性差別と共に「世界の3大差別」と呼ばれる。
人間はその年齢にかかわりなく、均等な機会を与えられなければならない。米国や欧州連合(EU)では、参政権だけでなく雇用などにおいても年齢差別が厳しく規制されている。年齢差別は未熟な国ほど顕著である。日本は世界でも優秀な「敬老」の文化国ではなかったか。高齢者を粗末にすることで失うことがあまりに多すぎないか。
むろん能力や資質にも個人差はある。威張るだけで頑迷固陋(がんめいころう)な高齢者もいる。しかし、経験と英知に基づいた健全な70歳の人間は、とくに危機的状況における総合的な決断力・判断力で20歳の人のそれより劣るとは思われない。
人はただでは歳をとらない。国の未来、そして自分の老いは自分自身が決めるという固い意志が、今の高齢者にはいや応なしに強い。それは老年保健医学にも取り組んできた私の体験的な見解でもある。
選挙された国会議員とは、直面する国内外の諸問題に対し、長期的視野をもって国民のために、国民に代わって決断する人のことである。「政治貧困国」日本で今、国会議員に求められるのは若さではなく、この健全な判断力と未来へのビジョンである。
私は民主主義を脅かす「定年制」に反対だが、要は、若い政治家から高齢の政治家まで世代間が均衡を保ち、国民の多くが納得できる、活力ある社会システムをつくることである。一部の高齢者が議員として不適任であるなら、制度ではなく、政党の自助努力と支持者・有権者の納得で個々に判断されるべきである。
高齢者の選挙力・政治力を侮ってはいけない。若者の政治参加を促す選挙権の年齢引き下げと定年制をセットで再考すべきだ。
2011年2月24日 朝日新聞 「私の視点」より