政策本位の政治と公職選挙法の基本問題について
政策本位の政治と公職選挙法の基本問題
東京市政調査会「都市問題」寄稿文


1:政治改革の経緯と小選挙区制導入の意義
 私が政治改革に取り組み始めたのは1986年(昭和63年)のリクルート事件が発端であった。この事件によって国民の政治不信は頂点に達し、内閣と自民党は危機的状況に陥り、それに対応するため自民党内に総裁直属の政治改革委員会が設立された。政治腐敗の再発防止策の検討を突き詰めていくと、政治の仕組みの根本にまで立ち返る必要があった。結局、それまでの派閥政治や資金のかかりすぎる政治を生み出してきた中選挙区制度を改革しなければ、政治腐敗は一掃できないという共通認識が出来上がった。
 中選挙区制度は戦後の高度経済成長を支えてきた一面を持っていたといえるが、自民党内同士の戦いが派閥政治とを助長し、政権奪取の意欲も可能性もない野党の固定化を育んでしまう。さらに、政治資金の肥大化、同じ政党の議員同士によるサービス合戦や利益誘導型政治の助長、官僚主導による政策立案などが顕著となり、かつては成功システムとして機能した時代から、最近はむしろわが国の民主主義の発展の障害となっている。当時、まだ世界は冷戦構造の真っ最中で、国際的には貿易摩擦、国内的には今の構造改革の端緒である構造調整問題など、直面する重要課題にわが国の政治が適切に対処できる政策本位の選挙制度の構築が不可欠であった。つまり、個人中心・サービス中心の政治から政党中心・政策中心の政治が実現できるシステムである。
  言い換えると、国民による政権選択と首相選択を可能にし、政治主導の責任ある政策の実行体制の確立することであった。そのためには、政権交代を可能にする小選挙区制度の導入が必要であった。これにより各政党が各選挙区に一人の候補者を立て、与野党代表が首相候補となり、総選挙は政権選択と首相選択の場となった。総選挙のたびに政権交代が起きる可能性の下、二大政党や二大勢力によって、与野党ともどもに緊張感と責任感が生まれるこ。つまり、政党が前面に出て、政党による党営選挙を実現し、党首の顔と政党が掲げる政策によって政権を争うというものである。この制度により、派閥同士の争いはなくなり、政党の執行部に権限が集中し、国会議員は、国家全体の利益を考え、国家戦略に基づいて官僚をリードすることが期待された。
小選挙区制度導入と平行して、元来の政治不信の原因であった「政治とかね」の問題にも対応するため、拡大連座制を柱とするいわいる「日本版選挙腐敗防止法」が必要であった。それまでの連座の対象は、総括主宰者、地域主宰者、候補者の一定の親族など限られた者が対象であったが、私が「選挙運動責任者」という概念を導入し、選挙運動に組織的な運動に主な役割を果たした者も対象とし、お金のかからない選挙の実現を図った。自民党内には「それでは選挙活動ができない」と大きな抵抗もあったが、「国民の信頼を回復するためには、この際に思い切って導入すべきだ」と主張し、実現にこぎつけることができた。平成6年に、政治改革関連4法案(小選挙区300・比例代表200の並立制、2票制、比例11ブロック制)と拡大連座制の公職選挙法の一部改正と政党助成金制度を盛り込んだ政党法人格付与法が成立した。


2:政権選択時代の到来と小泉内閣の誕生
平成8年に新しい選挙制度による初めての総選挙がおこなれ、与党(自民・さきがけ・社会党)と、新進党や民主党(現在の民主党の前身)などとの野党勢力との2大勢力の激突が予想された。しかし、実際には野党側の結束はなく、新進党と民主党が競合し、野党票を奪い合い、与党の勝利に終わった。ある仮定的試算によれば、新進党と民主党が一本化による選挙戦をしておけば、単純計算でその勢力図は自民党213議席、野党(非自民非左翼系)205議席となり、その差はわずかに8議席であった。
 一方、政策本位という小選挙区効果の萌芽が見られたことも事実だった。この選挙において自民党は、橋本龍太郎総裁(当時)のリーダーシップにより中央省庁再編と公務員削減を中心とした行政改革という思い切った選挙公約を掲げ、新進党の小沢一郎代表(当時)も政権交代を意識して、かなり大胆な「国民との5つの契約」を打ち出した。これは、7年後のマニフェスト(政権公約)選挙の始まりと言ってよいであろう。 このように小選挙区制度に至るまでの過程で、政権交代が現実性を帯び、政党が党首のリーダーシップで政策を前面に出して国民に訴える形は整った。
 平成13年4月、自民党総裁選挙において小泉純一郎が党員の圧倒的支持により選ばれた。選挙前の予想は、最大派閥出身であり、二度目の総裁を狙う橋本龍太郎元総理が有利であった。この逆転の結果は、自民党員が過去2度の小選挙区制度による総選挙を通じ、党首の顔と政策が重要であることを認識し、次回の選挙では政権交代の可能性が非常に高くなるという危機意識の反映でもあった。これは、中選挙区時代には考えられない現象である。この時点で、自民党員は、派閥の論理による総理・総裁選びを許さなくなっていたのである。 


マニフェストの導入と公選法改正作業
平成14年3月、私は自民党国家戦略本部の事務総長として、政策の実行体制を強化する内閣、与党、国会の新しいあり方を包括的に検討した「政治システム」を小泉純一郎総裁(同本部長)に提言した。その冒頭に私は、これまでの選挙公約とは違い、内容が包括的かつ具体的で次期政権内の4年間で実行可能な総合的な政策である日本版マニフェスト(政権公約)の導入を主張した。政党が政治主導でマニフェストを作成し、総選挙で国民の信任を得れば、それに基づいて官僚を真の意味でリードすることが可能となり、政治主導の政策立案が実現する。
 平成15年度に入ると統一地方選挙などで「マニフェスト」が大きな話題となり、各選挙で首長候補者が具体的な公約を掲げ次々と当選した。しかし、当時の公職選挙法では個人の主張する公約を選挙ビラの頒布を認めてはいたが、政党の公約を政党や候補者が配布できる規定が存在しなかった。そこで、私はマニフェスト選挙を実現するために、超党派の「政権公約(マニフェスト)推進議員連盟(自民党逢沢一郎・民主党玄葉光一郎共同代表)」を結成し、与野党の関係者に積極的に働きかけていった。当時、総選挙の実施が既成事実化しており、臨時国会の日程も窮屈であったため、最小限の改正にとどめることで与野党が一致した。改正案は(1)「政党に限って、1種類の政策冊子の頒布を認める」(2)「冊子には候補者名は記載できない(党首の写真掲載は容認)」を柱とすることとなった。
改正案を議論していく過程で改めて気づかされたのは、中選挙区制度時代の名残である「個人の公約も大事だ」という議員の意識であった。同じ所属政党同士が戦う中選挙区制においては、個人の主張の違いがなければ有権者は選びづらいという意味では論理的な主張であったが、政党中心による政策本位の政治の実現を前提にした小選挙区制度においては、マニフェストの導入は歴史の必然であったといえる。
平成15年の総選挙はマニフェスト選挙と名づけられ、緊張感ある選挙が行われた。「小泉首相か菅首相か」「自民党の小泉改革宣言か民主党のマニフェストか」のように文字通り首相選択と政権選択が争われた。


国民投票法制のインパクト
 政策本位の政治とそれを実現する選挙の実施のためには、公職選挙法のあり方を根本的に考えて見る必要がある。その契機となりつつあるのが憲法改正に関する国民投票法制を巡る議論である。周知の通り、我が憲法の96条において国民投票による憲法改正を予定していながら、立法府の不作為により憲法制定以来、その法整備を実施してこなかった。
国民投票法の作成作業の責任者の一人である私は、現在与野党間の折衝を担っている。この作業は、中山太郎(現衆議院憲法調査特別委員長)が憲法改正実現のため結成した、超党派の憲法調査会設置推進議員連盟(当時)が平成13年に作成した、公職選挙法を参考にした「日本国憲法改正国民投票法案骨子」を土台にしている。
 当初、自民・公明の与党内の実務者協議においては、この議連案の微修正で議論が進んでいたが、民主党も交えた3党の議論の過程で、「政党と候補者を選ぶ選挙」である公職選挙法を「政策の是認を問う投票」である憲法改正国民投票法にそのまま取り入れるには必ずしも適当でないという認識で共通してきた。つまり、現在の公職選挙法は、選挙運動を取り締まる側の論理から構成された「べからず選挙」を前提としており、憲法改正を問う国民投票は基本的に国民全体で幅広く、自由闊達に議論を深めるべきだという考え方である。もし規制するにしても、必要最低限とすることや、報道機関に対しては、言論市場の中で公正さが担保されるよう自主的な取り組みを求める訓示規定などが検討されている。さらには、将来の課題として成人年齢の引き下げにあわせて、公職選挙法とともに18歳以上に投票権を与えることも議論の俎上に上がっている。
 国民投票法制を議論する過程でむしろ、戸別訪問のあり方や政党の政治活動と事前運動を区別している公職選挙法の見直しを検討する必要が出てきたのではないかと思う。これまで投票といえば公職選挙法以外に慣れ親しんだことがなかった我々議員も行政当局も、歴史上初めて経験する新しい投票制度を構築する中で、図らずも「国民主役の選挙」とはどうあるべきかという根本的な問いかけをすることとなった。


5:公職選挙法の基本問題
(1) 政策本位の選挙
 わが国の公職選挙法は、票の買収などが横行した選挙運動の歴史の教訓から改正のたびに禁止項目を増やしてきた「べからず選挙」を基本としている。つまり、政治家は利益誘導や金の力によって支持者を獲得し、有権者もそれを求めるという風土が、選挙の公正さを著しく損なうことを予防する視点に立脚していることから致し方ない面もあるが、拡大連座制やマニフェストの導入により、以前よりかなりお金のかからない選挙運動と政策中心の選挙へと変わってきつつある。
 今日の現状を考えると、政策と選挙のあり方について抜本的な見直しをする時期を迎えていることは間違いない。マニフェストの導入により、与党はそれまでの「業績」をアピールし、野党は「将来構想」を掲げて国民の審判を仰ぐ、政党中心・政策中心とする選挙制度は出来上がった。しかし、そもそも政治とは政策であり、政策は365日休むことなく検討され、評価されるべきものである。政治、特に政府・与党は常に討論と政策決定過程を国民に開示し、国民の生活がどうなるのかを説明する責任がある。野党は与党の提案する法案や政策をチェックし、必要ならば修正させる責任がある。言ってみれば、与党野党問わず、政策本位という意味では、常時の政治活動そのものが選挙運動といっても良いのである。

(2) 選挙運動期間
 現行の公職選挙法の土台である「選挙運動期間」という概念は、その期間内に限り、ポスターの掲載や選挙ビラを配布し、政策を訴えることができるという構成になる。また、一方で選挙公示以降は候補者のホームページが改変できないとか、マニフェストは選挙前には「事前運動」と称され配布できず、選挙期間中は街頭では頒布できないというような、国民に政策を訴えるという観点から全くの本末転倒な規制がかかってしまう。
 この際、少なくとも政党の政治活動に限っては、選挙運動期間の概念に囚われない法整備が必要である。例えば、選挙が確定した際には、選挙の公示日の前後に拘らずマスコミ主催による党首討論や、各選挙区での候補者同士がお互いの党のマニフェストを討論しあう公開討論会は認められなければならないし、マニフェストの街頭頒布なども解禁すべきであろう。

(3) その他の諸課題
 前記したように憲法改正国民投票に関する投票運動は、最小限度の規制以外は原則自由な活動を保障しようとしている。本来は、公職選挙法も戸別訪問解禁やインターネットの活用なども含め、自由な選挙活動を認めることが理想である。これまで導入されてきた連座制の強化、選挙の法定費用の限度額規定、斡旋利得罪などに加え、政治家や政党の会計制度の透明性の確保や政治資金規正法の改革などを行い、金のかからない仕組みを担保すれば、「選挙運動期間」そのものをなくしてしまうことも可能である。
 また、小選挙区制度の導入は、中央政府主導の予算・資源配分から地方主権への移行がセットであったことに鑑みれば、国政選挙だけに認められるマニフェストの配布を地方自治体の首長選挙にも認めることは当然で、住民の身近な政策を有権者に判断してもらうためにも重要である