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論座 2001年11月号 「チャータースクールが公教育再生のカギになる」
大沼安史 青葉学園短大助教授

 米国のチャータースクール運動が日本にも波及し、うねりを呼んでいる。米国に広がる新しいタイプの公立学校創設のシステムを、日本の土壌に移し、荒廃する公教育の再生に役立てようとする、社会的な関心の水位がどんどん高まっているのだ。
 ミネソタ州で全米初のチャータースクール法が成立し、最初のチャータースクールが開校してから十年。八割近い州が州法をつくり、二千数百校が誕生している。既存の公教育システムが対応しきれない教育的なニーズにこたえ、実にさまざまな種類の「公立独立校」が創設されているのである。
 神奈川県藤沢市の「湘南に新しい公立学校を創り出す会」をはじめとする、日本国内における草の根の市民運動は、こうした米国での果敢な挑戦に刺激を受けたものだが、実は「永田町」「霞ヶ関」の政治・政府レベルでも米国の運動に反応する動きが出ていて、日本型チャータースクールの原初形態ともいうべき「研究開発学校」制度をすでに産み落としている。「研究開発」をするのであれば、「学習指導要領」から逸脱しても構わない、という画期的な制度が「政治主導」で生まれ、早くもことしで二年目を迎えているのだ。
 来年度に指定される「コミュニティスクール」も、この「研究開発学校」制度の枠組みで実現するもので、日本型チャータースクールの新たな発展形態といってよかろう。
 こうした流れを「政治の決断」で一気に加速し、公教育の構造改革で日本を再生しようとする機運も小泉政権内で強まっており、「チャータースクール」の存在感は、教育改革の影の主役として、ますます重みを増している。
 「チャータースクール」とは、特別許可(チャーター)を得て開校する公立学校のことである。たとえば教師や父母らが、「ワイサイズ」の画一的な公立校と違った、こんなタイプの学校を、と夢を描いたとする。それを計画書に書いて、チャーター交付権限を持つ機関(地元の学区教委が一般的だが、州教委、公立大学にも交付権限を付与している州も)に申請する。認められれば、開校だ。
 教育行政の干渉や支配を受けない。主体的に学校を運営できる「独立校」である。生徒数に応じて州から運営資金が下りる。州によって違いあるが、一人あたり日本円で年額五、六十万円が標準的なところだ。子どもたちは学区や通学区を越えて、州内から集まる。親や子どもたちの立場からすれば、「学校選択」が可能になる。
 ほかの公立校一般と違うのは、自ら「教育責任(アカウンタビリティー)」を引きうけた学校、ということだ。チャーターの契約期間(三年、十五年など州によって違う)内に教育的な成果を収められなかったり、公金を不正に使った場合は閉校となる。
 そんなチャータースクールのふるさとは、米国北西部のミネソタ州である。一九九一年に全米初の州法を成立させた。アメフトの「ミネソタ・バイキングス」が本拠を置いていることでも分るように、北欧からの移民が定住した、森と湖の州である。移民とともに、北欧の直接民主主義的な伝統も持ち込まれた。
 具体例を一校だけ挙げよう。中心都市ミネアポリスから、車で南西へ一時間。ヘンダーソンという田舎町に、「ミネソタ・ニュー・カントリー・スクール(MNCS)」はある。
 十七人の教師・スタッフのもと、第七学年から第十二学年(日本の中一〜高三)の生徒たち百四十人が学ぶハイスクール(日本式に言えば、中高一貫校)。地元ルセール・ヘンダーソン統合学区からチャーターを受け、一九九四年に開校した。
 農業のまち、ヘンダーソンにはかつて、巨大アグリビジネス(農産企業)、「グリーン・ジャイアント」社が工場を置いていた。その工場閉鎖とともに過疎が進行し、隣町・ルセールの学区に統合される。それに伴って、ヘンダーソンにあった公立ハイスクールも閉鎖された。そうした状況のなかで、閉鎖校の教師や地元のコンピュター企業関係者、父母らが立ち上がってつくったのが、このMNCSである。最初はメーンストリートの空き店舗に間借りして始まり、その後、生徒の設計で自前の校舎を持つに至った。
 このチャータースクールの特色は、生徒個人あるいは集団による「プロジェクト学習」である。午前中はコンピューターなどを使って教科を学び、午後からは各自、プロジェクト学習に移行するのが日課だ。
 この学校を一躍、全米的に有名にしたのは環境汚染のプロジェクト学習である。近くを流れるミネソタ川で奇形の蛙を発見し、水質汚染問題と取り組んだのだ。その活動はマスコミを通じて人々の知るところとなり、州政府を動かすまでになった。
 MNCSでもうひとつ、忘れてならないのは、「学校協同組合」の存在である。「エドヴィジョン」という、教師らによる協同組合があって、MNCSの運営主体である学校評議会から、教育活動全般の運営をまかされているのだ。
 ミネソタは農協をはじめ、協同組合運動が盛んだが、これも北欧の影響という(世界で最初の地域生協は一八六六年にデンマークで生まれたといわれる)。「連帯による自立」を目指す協同組合運動がチャータースクール運動の土台に組み込まれていることは興味深い。
 そんなMNCSの成功をみたビル・ゲイツ(マイクロソフト社)が一昨年秋、メリンダ夫人とともに運営する財団を通じ、「エドヴィジョン」に対して四百五十万ドルの資金提供を申し出た。「あと十五校、同じものをつくってほしい。しかも五年以内に」という依頼である。チャータースクールという独立校を立ち上げ、学校協同組合までスタートアップしたMNCSの教師たちの姿に、ビル・ゲイツは自分に似た起業家精神を見て取ったのかも知れない。
 ミネソタ州にはほかに、中退者など「危機に立つ」子どもたちや学習障害児、先住民族の学校、教育企業への運営委託校など、さまざまなチャータースクールがある(二〇〇一年春時点で、MNCSを含め六十八校)。
 こうした多彩な展開は全米に共通する現象で、子どもたちに教練を課すミリタリー・チャータースクール(カリフォルニア州オークランド)があるかと思えば、日本でも関心の高いシュタイナー教育のチャータースクール(ミシガン州デトロイト近郊)もある。最近の傾向としては、ネットを通じオンラインで教育活動を行うバーチャル・チャータースクールが次々に誕生していることも注目される。
 ところで、九月の新学期時点で、全米でどれだけの校数に達しているか、気になるところだが、本稿執筆時点ではまだ集計が行われておらず不明である。しかし、おそらくは二千三百校前後まで増えているとみられる(二〇〇一年春時点での集計結果では、二千六十四校。ちなみにチャータースクールの閉校数は、同年一年一月現在で八十六校、閉校率は四%だ)。
 かりに、この二千三百という推計が正しいとして、これがどれほどの比重を持つのか、だが、全米八万七千の全公立校のうち、わずか二・六%に過ぎない。
 それほどの少数派でありながら、チャータースクール運動はなぜ、全米の公教育の風景を揺るがすほどのインパクトを持ち得ているのか? それはこれまで「公教育」を独占してきた「教育官僚制」と「公立学校群」に対し緊張感を与えているからである。
 チャータースクールに生徒が流れれば、それだけ学区教育委員会と傘下の公立校に対し、州から下りて来る公的資金が減る。生徒もお金の取り分も減る。だから、既存の公立校としても安閑としてはいられない。自分たちも改革しなければ、という気持ちになっていく。こうした切磋琢磨が、少数派であるにもかかわらず、チャータースクールの存在感を高めているのだ。
 運動がミネソタから、たちまち全米各地へ飛び火したのは、こうした「公教育」に対するインパクトがあったからである。それまでシステムの外側にしか存在しなかった(たとえば私立校、フリースクールのかたちで)地域社会の草の根の力が内側に進出、旧態依然とした在り方に揺さぶりをかけたのだ。
 それ以前の公教育改革は、オルタナティブ・スクールにせよ何にせよ、「官製」だった。それらの諸改革が、部分的な成功例を除き、おしなべて失敗に終わったのは、改革を担う主体が不在のまま、外部からの借り物に安易に拠りかかったためである。
 チャータースクール運動とは結局、こうした七〇年、八〇年代の教育改革失敗の反省に立ち、惰性体と化した「公教育」のなかに「独立した主体」を部分的に持ち込むことによって、その「内側からのインパクト」を通じ、全体を再活性化する取り組みだったわけだ。
 日本型チャータースクールの原初形態ともいうべき「新しい研究開発学校」の制度が正式にスタートしたのは、二〇〇〇年四月のことだった。
 それ以前にも「研究開発学校」はたしかに存在していたが、中高一貫教育の導入に向け、文部省(当時)がいわば「上から」指定したものだった。
 これに対して、二〇〇〇年度から始まった「新しい」制度は、学校現場から、つまり「下から」ボールを投げて、新たな学校教育の可能性を探る、画期的なものだったのである。
 文部省はマウンドを下りたのである。ピッチャーではなく、キャッチャーへ。現場からのボールを受けとめ、その実験が意義あるものであれば、学習指導要領を逸脱した内容であっても、お墨付きを出して研究開発を公式に支援する。
 一般にはあまり知られていないことだが、この「新しい研究開発学校」の制度化は、学習指導要領一辺倒の戦後教育を大きく転換する、きわめて重要な出来事だった。
 この「新」制度が、「政治主導」で実現したこともまた、ほとんど知られていない。自民党と文部省の攻防のなかで、文部省側が妥協策として提案、それを自民党側が暫定的なものとして了承したものなのである。
 チャータースクールの導入を目指す自民党の検討作業は、一九九九年の年明けから本格化した。その中軸を担ったのは、党教育改革実施本部(本部長=森山真弓・衆議院議員)内に設けられた「チャータースクール構想等研究グループ」である。グループの座長をつとめたのたのは、保岡興治・衆議院議員。裁判官、弁護士を務めたこともある法律の専門家。議員立法で実績を誇る、政策通の実力派である。
 保岡氏らは同年二月から、関係者に対するヒアリングを開始し、日本型チャータースクールの構想づくりに乗り出した。ヒアリングの対象は、私学代表を含む教育界、学者、ジャ−ナリスト、教職員組合の関係者で、回数は半年間に十回を数えた。
 こうした経過のなかで党側から、チャータースクール法案を議員立法で成立させ、正面突破を図るべきとの意見が出された。とくに若手の議員たちの間に、教育問題をめぐる危機意識が強く、米国各州のように法律を整備して、一気に新しい公立学校を生み出すべきだとの声が高まった。
 これに対して文部省側は各種法令の改正作業が膨大なものになるなど技術的な問題に加え、法的な整合性を維持することが難しくなるなどの理由を挙げて難色を示し、水面下で党側との調整作業が続けられた。
 たしかに、学習指導要領を逸脱した公立校の創設を法律で認めるとなると、現行法とさまざまな点で法的齟齬をきたしてしまう。党側もこのことに一定の理解を示し、そうした事態を避けるため、取りあえずの妥協の産物として生まれたものが、既存の「研究開発学校」制度を拡充し、新しいタイプの公立学校を、来るべき学習指導要領改正のための「実験校」として認める「新」方式だった。
 こうして自民党教育改革実施本部チャータースクール構想等研究グループは、同年八月十日付けで「最終提言」をまとめる。その骨子は以下のようなものだった。教育史に残っても不思議ない、新たな流れを生み出した知られざる重要文書なので「概要」部分だけでも全文、引用しておこう。
 (1)学校教育における新しい試みの必要性――不登校、いじめ、学習障害児など現在の教育システムで十分に対応できていない諸問題について、教育現場の創意工夫を結集して解決を図るとともに、学校教育全体を個性化・活性化させるため、国の教育課程の基準に特例を設けて新しい試みを実施する。
 (2)現行制度の運用の改善による新しい試みの内容――文部省が課題を定める下校(原文通り)の研究開発学校制度を改め、設置者である市町村教育委員会等が主体的に設定した課題について文部大臣の指定を受けて研究開発を行うボトムアップ型の研究開発学校制度を導入する。研究開発に要する経費については、必要な場合は国が助成する。また、新しい研究開発学校については通学区を弾力化する。なお、国民教育としての基礎基本や受験競争激化防止等が確保されるよう、指定審査のガイドラインを設ける。
 この「最終提言」を受けて昨年度からスタートし、今年度で二年目を迎えた「新しい研究開発学校」制度だが、これによって具体的にどのような新しいタイプの公教育が認められたか、文科省の今年度分資料(新規指定分)によって、見ることにしよう。
 平成十三年度のことしは新たに三十二校(学校群)が指定された。紙幅が限られているので、学校名など細かな点は省くが(興味のある方は、筆者のインターネット・サイト、『教育改革情報』、http://homepage2.nifty.com/irer/ を参照のこと)、小学校で「メディア・リテラシー」を教えるカリキュラムづくりをはじめ、地域内の全小中学校と高校を巻き込んだ「連携型一貫教育」や、帰国子女学級を基礎にした「国際中等教育学校」の取り組み、農業高校の大学との連携、幼・小・中・高・大の十八年一貫方式による「環境教育」の展開、小学校における「英語科」「情報・コミュニケーション科」の新設、学習障害や自閉症児のための取り組み、工業高校における企業と連携した「就業体験」学習――など、実に多彩なプログラムが並んでいる。
 ほとんどが公立校(群)による取り組みだが、私立校も一校、指定され、「学校内学校」方式による「研究の森」プロジェクトなるものをスタートさせている。
 「研究開発」の名の下に実際、これだけのアイデア、プロジェクトが学校現場から噴き出し、実行に移されているのだ。これは注目すべき現象である。日本型チャータースクールが原初形態ながら既に実現していると言えるのは、実はこういう事実があるからである。
 しかも、それだけではない。文科省はこの「新しい研究開発制度」の枠組みを使って来年度から、新しいタイプの公立学校、「コミュニティ・スクール」について、「実践研究」(つまりは指定による創設)に乗り出す方針でいるのだ。全国市町村教委から公募し、全国で五校、指定するべく、新年度予算で概算要求(三千九百万円・新規)しているのである。
 「コミュニティ・スクール」は昨年七月、「教育改革国民会議」(首相の諮問機関)が、新しい公立学校の在り方として、設置の検討を報告書で提言。これを受けて今年七月、政府の「総合規制改革会議」が「中間とりまとめ」のなかで、「法政度整備を含めて積極的に検討を行うべき」と求めていたものである。
 それでは「コミュニティ・スクール」とは、そもそもどのようなものであるのか?
 この構想の生みの親は、教育改革国民会議の第二分科会の主査を務めた金子郁容・慶応大学教授である。
 同会議の「審議の報告」によると、それは「地域独自のニーズに基づいて市町村が設置し、地域が運営に参画する公立学校の仮の呼び名」で、「市町村が校長を募集、有志が応募するか、有志による提案を市町村が審査する」としている。
 さらに「『いい学校は、結局、人である』という考えから、校長が独自の判断で学校マネジメント・チームを選び、教員をリクルートし採用する権限を持」ち、「学校経営は校長とマネジメント・チームが行い、そのチェックは地域学校協議会が行う」というものだ。
 つまりは「学校協議会」を通じたローカル・コントロールの下、「校長とマネジメント・チーム」が学校を経営していく仕組み。「協議会は地元代表を一定以上含むものとし、学校をモニターし評価する」としている。
 これはもう、指定校の「独立性」を認めた点で、独自の教育内容を目指すだけの「新しい研究開発学校」よりも、チャータースクールに近いコンセプトだ。いや「日本型チャータースクール」が、初めて具体的な姿を現したといっても構わない。それほどの重みのある、意義ある提案である。
 こういう「コミュニティ・スクール」が来春から、いよいよスタートすることになったわけだが、「新しい研究開発学校」の枠組みとの関係で、クリアしなければならないハードルがある。それは、新たな公立校の創設のメカニズムを、「研究開発学校」、あるいは「コミュニティ・スクール」の枠組みそれ自体のなかに、システムとしてどう組み込んでいくか、という課題だ。
 現行の制度的な枠組みは、あくまでも「既存校」に対する「指定」を認めるものでしかない。もちろん、それだけでも非常に画期的であって、たとえば地域住民が学校運営に積極的に参加し、「学校」と「地域社会」が一体化した「学社融合」のプロジェクトが進む、千葉県習志野市立秋津小学校などは、当然、最有力候補になってしかるべきだが、「新設指定」(あるいは、民間のNPOなどに対する「転換指定」)の道が切り拓かれないことには、地域に潜む教育力を公教育に生かし切ることにはならない。
 一例をあげれば、「湘南に新しい公立小学校を創り出す会」が先頭に立って、全国的な運動へと広がり出した、公立校の創設運動である。これなど、「新設指定」がなければ永遠に実現の道は閉ざされる。
 あるいは、学習障害児らを受け入れ、懸命な教育活動を行っている横浜市の「楠の木学園」や藤沢市の「ライナス」といった障害児フルースクール。そしてまた、一般の公立校以上のことを行っている、「東京シューレ」をはじめとする各地のフリースクール。
 「転換指定」を創設して適用しなければ、そうした現場の地道な取り組みが報われる日は永遠に来ないのだ。
 しかし、あきらめることはない。実は一昨年、自民党と文部省が「新しい研究開発学校」の制度化へと折衝するなかで、「分教場」あるいは「民間研究委託先」といったかたちで、「新設」や「転換」を認めようとする検討がなされた経緯があるのだ。関係筋によれば、「分教場」といった「知恵」を出して来たのは、文部省の事務方であるという。
 文部省もまた、ことと次第によっては、いくらでもカードを切る用意があるのだ。当時のような「政治主導」が今後、再び発揮されれば、「新設」を認める方向に進むことは十分にあり得る。
 政権を担うのは、「聖域なき構造改革」を掲げ、「百俵物語」で教育の大切さを訴える小泉首相である。そして、党側で小泉首相を支えるのは、新設された「自民党国家戦略本部」の事務総長、保岡興治氏である。チャータースクール推進派である保岡氏が、小泉氏の盟友である意味は大きい。同氏の周辺では、「教育再生・新百俵プロジェクト(仮称)」として、私学生やフリースクール通学者に対する「学習券(バウチャー)」支給構想の検討も進んでいるが、そうした教育構造改革の柱として、「日本型チャータースクール」の制度拡充が打ち出される可能性が強い。
 こうした中央レベルの動向とは別に、地方自治体レベルでも独自に検討に入る動きが出ている。兵庫県では県教委の宮崎秀紀・教育長が昨年秋、米国を訪ね、現地で実態を調査し、今年になって職員を派遣して本格的な調査に乗り出した。チャータースクール方式で「公設民営」の高校を設けることを視野に入れてのことだ。
 田中康夫知事率いる長野県では、このほどまとめた「県政改革のビジョン」検討案のなかで、「チャータースクールの考え方を踏まえ」た「地域の実情にあった学校づくり」の方針を打ち出している。
 こうしたなかで市民運動も着実に成長しており、九月には年初から活動を開始した市民グループ、「日本型チャータースクール推進センター」が、東京・町田市でNPO化のための設立総会を開いた。
 「政治」と「市民」が呼応し、上からと下からの連動のなかで、地域の公教育を再生していく……教育危機が進行するこの日本で、次第に輪郭が浮かび上がり始めたその構図は実に、米国チャータースクール運動発生期の姿そのものである。
 ミネソタでも、そうだった。州議会の政治家が動き、市民(父母・教師)が動き、その連帯の中から公立校創設のメカニズムが生まれ、その制度によって新しい公立校が地域に生まれた。