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集団的自衛権行使違憲論批判」要約 - 吉原恒夫拓殖大学教授
この資料は拓殖大学の吉原恒雄教授の論文を保岡政策ブレーンが要約したものです。

1国際社会における集団的自衛権の本質(歴史的経緯)

T:集団的自衛権の根拠が「国内法の私法からの類推に基づくもの」つまり、欧米の主要国やわが国の刑法36条にある、自己のみならず他人のためにも正当防衛の権利の行使を国家にも適応させる考えが国際的に認識された考え方であると論じ、4つの根拠を示している。
@ 密接な関係がある国が攻撃された場合には、自国の重大な脅威となる点。 
A 日本語の「自衛」は英語、フランス語、ドイツ語では「正当防衛」の意も含まれている。国連憲章の51条にある集団的自衛権の表現をフランス語、スペイン語では「集団的正当防衛権」としている。
B 米国の拡張モンロードクトリン政策には中南米地域に対し、現在のような集団的自衛権の考え方が包含されていた点。
C 近代初期の国際社会が国家に認めていた「自己保存権」には、自国を守るために他国に対する軍事援助の考え方が包含していた点。

U:19世紀の国際社会
当時の考え方として「国連憲章51条で言う集団的自衛権は国際連盟規約第16条に極めて似ており、当時は現在の国連のように集団安全保障体制の中央集権化が進んでおらず、一種の集団的自衛権以外の何物でもなかった」というケルゼン教授の考えを引用。

V:不戦条約締結時
  米国は拡張モンロードクトリン政策を国家の自衛と安全の一部とみなした。英国は「英国版モンロードクトリン」と呼ばれる留保を行った。その内容は「その繁栄と保全が我々の平和と安全にとって特別かつ死活的な以外関係を持つ世界の特定地域」があり、「攻撃に際しこれらを防護することは、英帝国にとって自衛の一手段である」であった。しかし、日本は「米国における中南米、英国における中近東地域が“死活的利害関係を持つ特定地域“なら、日本にとって満州やチャイナはそれ以上に重要性を有する地域であり、当然当該地域での武力行使は不戦条約の適用対象外」とし、留保しなかったことが後世に禍根を残したと指摘。

W:不戦条約締結時に国際社会に明白に認識され始めた集団的自衛権の概念は1938年のリマ宣言で、米大陸諸国に法的に認知されることとなった。

X:国際連合結成時
五大国自身が武力攻撃した際に、大国が拒否権を使ってしまい、自国の防衛ができない可能性を米州諸国が懸念し、51条を創設し、相互援助義務を果たせるようにした。したがって、51条創設の主目的は個別的自衛権ではなく、集団的自衛権にあった。

まとめ
現在の「集団的自衛権」の概念は、先ず米国独自のモンロー・ドクトリンに萌芽し、不戦条約締結時に国際社会に認知され、1938年のリマ宣言で米国大陸諸国に法的に認知され、これを受けて、国連憲章第51条でグローバルに「集団的自衛権」の名称で承認されに至る。それゆえ、集団的自衛権は必ずしも国際連合における創作ではなく、今日の国際社会おける自衛権の発展した形態である。

2 日本政府の違憲解釈

T:政府の公式解釈
政府は集団的自衛権を「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないのにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」と説明。「(日本)が国際法上、このような集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」と解釈している。

U:歴史的経緯
1952年サンフランシスコ平和条約締結時に第5条C項でわが国に集団的自衛権の保有が認められたが、ほとんど注目されなかった。60年の安保改定時に政治問題化した。

☆サンフランシスコ平和条約第3章第5条C項
「連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛権の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。」
☆日米安保条約第5条
「日本の施政の下にある領域における、いずれかの一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくすることであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」

V:歴代閣僚などの発言
@ 鳩山内閣の杉原防衛庁長官の国会発言
 「日本は独力で、これは日本の自衛ということそれ自体も難しいと思います。やはり日本としては集団防衛、集団自衛ということは、やはり日本を守っていくために実際上必要である」
A 1959年岸内閣の藤山外務大臣の国会答弁
在日米軍基地への攻撃に絡んで「(日米が防衛のため)お互いに共同動作をするということは、当然の帰結」「発動の方法は個々であろうとも、共同動作をとって参りますことは、集団的自衛権を行使することになろう」
B 藤山外務大臣の発言を受けて、高橋外務省条約局長が
「そのような権限を憲法の範囲内でわれわれは持っている」と認識を示すが、「外国の領土において外国を援助する、・・・そういう意味のいわいる集団的自衛権の行使、これは日本の憲法にいう自衛権の範囲には入らない」と、その行使には制限があると解釈していた。
C 同年の砂川事件の最高裁判決の際、田中最高裁長官補足説明で「今日もはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち『他衛』、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従って、自国の防衛にしろ、他国への防衛協力にしろ、各国はこれについて義務を負担していると認められる」としている。

W:高辻正乙内閣法制局長官の決定的な違憲解釈
現在の政府解釈の原型となる解釈。1964年11月の佐藤内閣発足時の高辻正乙内閣法制局長官による解釈の論拠(退官後に述べる)。
@「A国を防衛するためのB国への武力行使は、そのA国とB国との間の国際紛争を解決する手段に仕える以外のなにものでもない。」
A「わが国のA国への武力攻撃停止要求をB国が受け入れないということは、わが国とB国との間に国際紛争があるということになり、集団的自衛権の行使はそのB国に対して武力攻撃を仕掛けることにある。」
B「それゆえ、国際紛争を解決するための武力行使を放棄している憲法を第9条のもとでは、たとえA国がわが国と連帯関係にあり、A国の命運がわが国の命運に深くかかわっていても、A国のために集団的自衛権を行使することはできない。」

3 集団的自衛権合憲論(違憲論割愛)

T:大平善梧国際法学者の合憲論
@「憲法9条は国際紛争解決の手段としての戦争を放棄しているが、制裁および自衛のための戦争行為は否認していない。」
A「自衛権が認められるなら、その権利行使手段たる自衛力保有もまた憲法上許される。」
B「集団的自衛権の本質を個別的自衛権の同時行使だと位置付けるならば、具体的場合には必ず自衛権の発動条件が満たされることを要求することになる。」
C「他国に対する攻撃、つまり間接の攻撃であっても、直接の攻撃と同じく危険が感じられる場合には、その危険は現実的に切迫したものと認められ、自衛権発動条件を満たしてくれる。」

U:田中直吉国際政治学者の合憲論
@「自衛権は国家の正当防衛権であり、そのうち個別的自衛権は、自国のためにする正当防衛権であり、集団的自衛権は他国のためにする正当防衛の権利である。」
A「日本はサンフランシスコ平和条約、国連憲章、日ソ共同宣言によっても個別的自衛権とともに集団的自衛権を保持することを認められている。」
B「憲法第9条が自衛権を認め、『自衛のための戦力』の保有を禁じていないと解するならば、国内法上その行使が禁止されていると解すべきでなく、集団的自衛権の行使は可能。」
C「現在の日米安保条約の第5条は日米両国が自衛権行使、集団的自衛権行使を相互に義務付け合ったものである。」
D「したがって、日本の施政権内での米国への攻撃には日本も共同行動をとる義務があり、日本がこの行動をとる根拠は、日本の集団的自衛権に基づく」
E「ただし、この規定は韓国や台湾での米軍や日本周辺の公海や公空で米軍が武力攻撃を受けた時に、日本が集団的自衛権を行使して正当防衛援助の行動に出ることを約束したものではない。」

☆日ソ共同宣言(昭和31年)3のb項
「・・・・日本国及びソビエト社会主義共和国連邦は、それぞれ他方の国が国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛権の固有の権利を有することを確認する。・・・」


V:小林教授(憲法、ドイツ法学)の合憲論
@「憲法9条が禁止しているのは侵略戦争、侵略的武力行使(含む、武力による威嚇)であり、さらにこれを目的とする陸、海、空軍ならびに他の戦力の保持、ならびに交戦権である。」
A「しかし、これらの禁止事項以外には、一般国際法ならびに国連憲章が禁止していないあらゆる行為が認められ、集団的自衛権は合憲。」

W:小田村四郎拓殖大学総長(元行政管理庁事務次官・元防衛庁経理局長)
@「自衛権の内容やその行使の限界も国際法上の通念に従って解釈されるべきである。
A「政府見解での『自衛権』は国連憲章上の個別的自衛権に他ならず、政府の解釈は個別的、集団的自衛権という二個の法概念が同一でないことを同義反復しているに過ぎない。」
B「政府の違憲解釈の唯一の根拠といえるのが憲法第9条第1項であるが、国際紛争を解決する手段としての戦争及び武力行使を放棄した同項は『不戦条約及び国連憲章と同旨であり、そして不戦条約では実質的な<集団的自衛権>が留保され、国連憲章においては明文を以ってこの権利が害されないと規定している。』」
C「したがって、これと同旨のわが憲法第9条は1項が集団的自衛権の否定をするという解釈は、いかなる面から考えても成り立ち得ない。」
D「高辻元内閣法制局長官の解釈は国際紛争を解決する手段としての戦争・武力行使と集団的自衛権の行使を全く異なるほう概念とした不戦条約及び国連憲章の規定に反するもの。」
E「個別的、集団的自衛権の行使は、単に国家固有の権利であるにとどまらず、同時にまた国際的責務である。」

4 基本権である自衛権を成文法で否定できない

T:国際社会での自衛権に対する認識
―自衛権が自己保存権と同じ自然法上の「基本権」「不可嬢権」に由来する固有権であるという発想は、国連憲章がこれを「固有の権利」と表現していることに現れており自衛権は国家の基本的権利である。
―国家はその最小限においての防衛機能である。(高田保馬教授)
―国家の属性である防衛機能(自衛権)を憲法で否定しても、実質的意味を持たない。(飯塚作太郎教授)
U:保持しているが行使できない権利
―政府の集団的自衛権に対する解釈は「保持しているが行使できない権利」である。そもそも法理上、権利を認めるということは、その国民あるいは国家がその権利を保有し、それを現実に行使する必要であるということが前提にした上でのことである。つまり、権利の是認はその行使手段保有と行使の是認を含んだ概念である。−行使が禁止されているような権利は、空名であって、権利ではないか、あるいは権利そのものを事実上否認していることになる。(田中直吉教授)
―集団的自衛権の行使否認は、事実上、権利そのものの否認に通じることになり、それは政治的には通常の意味においての国家性の放棄である。(田畑忍教授)
―高辻氏の前述の見方は、集団的自衛権の行使を「国際紛争を解決する手段」としての武力行使と同じものと解釈している点で、国際社会の常識に著しく反する。

5 自衛権への誤解が生んだ違憲の論拠

T:国際社会とわが国との集団的自衛権の解釈の相違
国際社会:「武力攻撃を受けた国と密接な関係にある国が、その密接な関係ゆえに、その攻撃が自国に対するものと認められた場合に、攻撃を加えた国に反撃を行うことができる権利」わが国:「自国と密接な関係にある外国に対する攻撃を、自国が攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」比較するとわが国の解釈では“その密接な関係ゆえに、その攻撃が自国に対するものと認められた場合に”という重要な部分が欠如している。政府解釈は当該攻撃がやがては自国に及んでくる公算が大きく、それゆえに自国に対する重大な脅威を構成するケースについての権利である点を、見落としている。それどころか、その後に“自国が攻撃されていないにもかかわらず”という表現を入れることによって、あたかも自国の安全保障に全く関係がないにもかかわらず、武力行使を是認した権利であるかのようなイメージを与える表現となっている。

U:自衛概念の考え方の相違
国際社会(クンツ教授):自衛権は侵略された国家に対して正義の戦いを行い、これを勝利導かつ敗れた侵略国に平和条約を課す権利わが国の解釈:「集団的自衛権はあるが、行使できない」のは「憲法9条の下で許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するための必要最小限の範囲にとどまるべきものと解している」 しかし、この解釈は以下の2点から大きな誤りである。
1) 別的自衛権と集団的自衛権は全く正確を異にする別の概念として取り扱っている点。
2) が国だけで通用する(個別的)自衛権概念を大前提としている点。国際社会では両権利は一体不可分であるとされている。

V:自衛のための必要最小限度の戦力
国際法学者の用いる解釈:「自衛は原状の保持ないし回復(目的についての比例性)に制限され自衛権行使の際に採用される諸手段は、それによって自衛権が生じた侵犯に、必要にしてかつ比例したものでなければならない。」
わが国:「“必要最小限”という言葉に自衛のために保有できる防衛力・軍事力には量的、質的な制限が、またその行使手段や方法(戦略・戦術)についても制約が、“先験的”“絶対的”にあるということを暗黙の前提としている。これらの制限のため、自衛の戦いの成否がどうなるかは、全く念頭にない。」

結論
集団的自衛権の行使を憲法上合憲としたからといって、すべての事態にその権利を行使しなければならないというわけではない。そこには政治的判断が入るべきなのだ。現在は諸外国が政策判断で行っていることを、わが国では憲法という法の解釈に委ねている。だが、小林教授が強調しているように「憲法9条から、不必要に多くの禁止事項を読み取ろうとして、これにあまりにも多くの期待をかけ、そしてこれに過重負担をかけてはならない」のだ。