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保岡興治の横顔興治物語(文字編)興治物語(写真編)
保岡物語 写真編4





昭和42年には今度は自らの仕事のため、鹿児島地方裁判所に赴任し、
多くの事件にかかわる中、人生の悲哀や慶びを実感し、
法の権力に携わるものは何より謙虚さが必要であることを痛感し、
それが今の政治姿勢に繋がっている。




昭和46年、武田ヨシエと結婚、一男三女の父親となった。
結婚の翌年、昭和47年には父母の郷土奄美から、33歳で衆議院に立候補、
初当選を果たした。




国土・大蔵政務次官、衆議院建設常任委員長、自民党副幹事長、
政務調査会総括副会長、 金融安定化本部事務局長、
司法制度調査会長を歴任し、 政策立案能力を発揮した。

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