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保岡興治の横顔興治物語(文字編)興治物語(写真編)
保岡物語 写真編2



宮城県仙台市から家族で鹿児島市へ移った。前に立っているのが保岡代議士。
八幡小学校時代は鹿児島市の天保山や冷水にあった家から手にぶら下げた米三分、
麦七分の弁当を持って3キロあまりを歩いて通学した。





その後、鹿児島大学付属小学校・付属中学校へと進み、
終戦後で校舎が焼け落ち青空教室という時期もあったが、
机を並べた同窓生は大きな宝と、今でも変わらぬ交流を続けている。





家族写真の端でイニシャル入りのセーターを着た保岡代議士。
この頃、父が知事選に落選しニワトリの卵を売って実家の生計を助けた。
ニワトリの餌の草刈は保岡代議士の日課だった。


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